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定年ゴジラ
先週、うちの会社にふらっと遊びに来たCさん。彼は私がこの会社に入るのと前後して引退したので、正直なところ、私にとっては全く面識がないに等しい存在だ。それなのに、ここ一週間、私は彼に振り回されている。
このCさん、「若者がすなるメールというものをワシもしてみんとしてするなり」と、PCに何故かご執心。どこかのパソコン教室にでも通うのかと思ったら、何とうちの会社に一台余っているパソコンで練習を始めてしまった。
それから毎日、彼は午後になると何故かうちの会社にやってきては、隅の席でPCの画面をじっと眺めている。不思議な光景である。
同僚は、「あの人、毎日何をしに来てるの?」と不審がる。
社長は、「あいつも暇なんやろ。しばらくしたら飽きるから、好きにさせれば?」(それでいいのか?)

まあ、隅っこの席に座ってるだけなら、座敷童子みたいなものだし。放っておけばいいと思っていたのだけれど、何故か彼は私をパソコンの講師に定めたらしく、何かあると「ちょっと!」と私を指名。
・・・まずはノートパソコンのふた(?)の開け方の説明。スイッチの位置。彼はメールをやってみたいと言うが、さすがに会社ドメインのアドレスは作ってあげるわけにはいかないので、hotmailの登録手続き。「クリック」という言葉をうっかり使うと、「そんな言葉、年寄りには分からん」と言われ、仕方なく「このボタンを押してください」と言い換えると、液晶画面を指でぎゅ~っと押すので慌てて止める。しばらくすると、「ワシのパスワード、何やった?」「知りません!そんなの!」・・・ぜえぜえ。自分の仕事が進まない!

こんな一週間で、私がふと思い出した「定年ゴジラ」(重松清)という本。
舞台はくぬぎ台という架空の街。高度経済成長時代、綿密な都市計画のもとで建設されたニュータウンは、都会の喧騒や治安の悪さから隔離された、安全で住みやすい夢の街、のはずだった。ところが、時代とともに、ニュータウンは娯楽のない退屈な街として、輝きを失っていく。と共に、住民達も年を取り・・・
ニュータウンを終の棲家として、一心不乱に働いてきたサラリーマンの定年後。時に悲しく、時に笑えるエピソードが、重松清ならではのやわらかい文体で淡々と書かれている短編集である。

・・・ひょっとしたらCさんも、くぬぎ台の住民の一人なのかも知れない。
同情、というのは失礼なんだろうとは思う。けれど、仕事一筋で生きてきたサラリーマンが定年になると、しばらくは呆然としてしまうように、彼も今、何かを見つけたくて右往左往しているんじゃないか、そんな気がする。


でも。
Cさん、あなたにはPCは向いてないと思います。早く諦めた方が、いいと思います。
・・・ああ、言いたい・・・。
by sivaxxxx | 2004-03-27 02:50 | よむ


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